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「命を感じる必死さ」

和久晋三著

最近になってようやくわかりました。
なぜ、丹波で医療崩壊の危機感がなかなか伝わらないか?
それはタイトルの通り、「命を感じる必死さ」が大きく違うからなんですね。(あたり前か!?)
丹波では一番最初に
「このままでは大変なことになる!」
「医療が崩壊して助かるはずの命も助からない!」
「なんとかしなければ!」と叫んだのが、産婦人科医と小児科医だったわけです。
次に叫びだしたのがまさに、小さな命を守っている若いお母さん達や自分や家族が大変な目にあった人達やよほど想像力に長けた人達・・・(丹波新聞足立記者の功績が超大なのは無論ですが)つまり、命を必死で感じている順に叫び出したのです。
病院の産科医や小児科医は毎日のように、人の生き死に(死には少ないが)を目の当たりにします。

ある意味必死必勝(必生必勝?)を課せられた戦場であり毎日が修羅場と言っても過言ではありません。(実際、弟はギリギリまで追い込まれていました・・・守る会のお母さん達、弟と小児医療を救ってくれて本当にありがとうございました)

しかも対象となるのがこれからの将来を担う赤ん坊や若いお母さん達です。

90歳のご老人に「ご臨終です」と言っている私のような田舎開業医とは切迫感も全然違うわけです。
少なくとも医療関係者は診療科等にもよりますが20歳代から一般の人の何倍も人の死という局面に立たされます。そういう人種の持つ死生観と一般の人のそれとは基本的に違うんだということを十分認識して講演や説明をしないと伝わりにくいですね。(反省)
例えばいくら戦争経験者が戦争がいかに悲惨で残酷なものかを伝えようとしてもなかなか難しいのと同じような気がします。
私の場合、今まではデータの羅列ばかりで人を説得しようとしていたような気がします。

客観的データで、人はある程度説得は出来ますが、データだけでは人は動きません。
人は感動を与えないと動かないんだということにもようやく気がつきました。
子供は計画的に動くわけではなく、いつも何かを感じて動いています。
つまり毎日「感動」しながら生きているわけですが大人だって場合によっては同じだと思います。

比べても意味はないのですがバナナダイエットやココアや納豆には日本人はすぐに反応して動いたのに大事な大事な命を守る医療崩壊問題にはなかなか反応しない・・・

バナナに負けたくない・・・うっ!ちょっと脱線か・・・
丹波は元来、気候や農産物にも恵まれ、戦災もなかったし天災もほとんどなかった土地柄で、割合のん気な所です。
「まあ、大変や思うけど、誰かがやってくれてやわね」と思っているか関心もないかのどちらかと思います。
生きる真剣さも、命を守る真剣さも丹波だけでなく、今の日本人には欠けているんでしょうね。
世界を見てもアメリカに属国日本はいつもやられっぱなしですが、要は彼らの方が生きるための真剣さが強いということじゃないでしょうか。(拉致された人達ももっともっと真剣になって命を感じて取り返してほしい!死に別れも辛いけど生き別れはあきらめがつかない分もっと辛い!?)
AEDにしてもアメリカは当時のクリントン大統領が国民にテレビ演説までしてその必要性を説き、40億円もの予算を組んで自国民の命を救おうとしていましたが日本の予算はゼロでした。(冨原先生に以前教えていただきました)
これから世界大恐慌以上の大波が来る、健保も崩壊と言われ、やれ資産を守れ、生き残り戦術はこうだ!などとだくさん言われていますが、命がなかったら、健康な身体がなかったら何にもできないですもんね。
しかし現実的には今日、今現在もあまりにひどい不況でペットのえさ代もなくペットを捨てる人も急増し

「医療より今日のパン」のような人達も実際出てきていて自殺する人も私の近くでもあるわけですが、いずれにしても命の教育、命を必死で感じる教育だけはAEDの講習会等を通じて地道に続けていかないといけないと感じています。


丹波の医療・・・時はもうToo Late?しかし終わりは始りでもある

        決してあきらめない

       目標は丹波市民全員がAEDが使え心肺蘇生ができること


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